マイユ 270年の歴史

1720年 「マイユ」の名は、マルセイユのペストと共に歴史に登場します。マルセイユに恐ろしいペストが発生し、1日1000人単位で市民が亡くなったとき、アントワーヌ・マイユ氏が“VINAIGRES DES 4 VOLEURS”(4人の泥棒のビネガー)という名のビネガーを発明。このビネガーの抗毒性がペストの予防薬として効果を発揮し、多くの人命を救いました。

1747年2代目で同名のアントワーヌ・マイユ氏がパリのサン・タンドレ・デ・ザール通りに自分の店を出し、ここに現存する“ディジョンマスタード”最古のブランド“マイユ”が誕生しました。18世紀半ばには、マイユ氏の名声はフランス国境をはるかに越えたところまで広まっていました。

1760年マイユ氏は、オーストリアとハンガリーの皇室に招かれ、“マイユ”は皇帝御用達のビネガー蒸留業者となました。この頃、現在使われているロゴマークの元となる、装飾模様―右にオーストリア皇帝、左にハンガリー女王の紋章を組み合わせたもの―が生まれました。

1769年には、フランス王室御用達の御用達となり、さらに、1771年には、ロシア女帝カテリーナ二世のビネガー蒸留業者として特許権を得たマイユは、当時モスクワで猛威を振るっていたペストを予防するため、無料で大量のビネガーを提供しました。

1769年フィンランドのジョサロ島沖で発見された18世紀の難破船の中からは、ロシア皇帝と女帝に当てられたマイユのマスタードポットが引き上げられ、今もディジョンのマイユブティックに展示されています。